シャーマンな娘④ 精神病患者を持つ家族の会

シャーマンな娘④ 精神病患者を持つ家族の会

久々のシャーマンシリーズ!(笑)

注:シャーマンとはなんぞや?という方は過去記事をお読みくださいね。

2013年後半、長女の病状も最悪で、セラピーも全て拒否し、先の見えないどん底だった日々、毎日の日々をどう切り抜けたらよいのか、彼女にどう接したらよいのかわからず、もんもんとした日々を送っていました。

普通の人には理解できない精神病患者を持つ家族の苦しみ、そんな気持ちをわかってくれるコネクションを探していたのかもしれません。とにかく相談できる場所を探して、見つけたのがブリスベンの「精神病患者を持つ家族の会」でした。(英語名忘れたけど、地元オーストラリアのグループです)

11月ごろだったかな、カリンデールまで行って初めて参加してみました。私の他に若そうな赤ちゃん連れの方が初参加で、ファシリテーターをのぞいた他の参加は常連さん、それもかなり年配な方が多かったです。

初参加の私たち以外の方々はみんなすでにお互いの状況を分かり合い、最近はどお?みたいにキャッチアップしている感じでした。

みなさんそれぞれ、旦那様や息子さんが精神分裂症だったり、と長い間、介護したり、面倒をみたり、という環境の方達でなんとも暗く疲労感が隠しきれない感じでした。

初参加の私の話をみなさんが聞いてくださり、理解していただけたことは本当にありがたく、気持ちが楽になりました。

が、、、その後に60歳くらいの女性が、彼女の娘も22歳でバイポーラー(双極性障害=そう鬱病)診断されて、その後結婚、出産、離婚を繰り返し、今は祖母である彼女が孫の親権を持って育て、現在40代の娘さんは、精神病院を出たり入ったり、毎日20種類の薬を飲み、週に一度電気ショックの治療を受けているの、だからあなたの気持ちがわかるわ、、、と。

私のそのときのショックは言葉では言い表せません。そんな世界が普通に存在するなんて!!!

絶望という気持ちと同時に生まれたのは、何かがおかしいという怒り、と、決意でした。

私は、その人生を、その世界を選択しない、と。

私はそれまでに参加したセミナーや読みふけった本の中にある、自分で創造する世界を、この時ほんとうに覚悟を決めて自分で創造し、自分が理想とする世界に生きる決意をしたのだと思います。

病気を病気と捉えて、病気の人生を生きるのは自分なのです。

娘がバイポーラーで、大変で、苦悩の家族を生きていたのは「私」だったのです。

もちろん毎日の中で、チャレンジは続き、苦労はありましたが、その度に、「自分」を見つめ直すのです。なぜ自分がこの状況をクリエイトしたのか?自分はここから何を得ようとしているのか?

世界のクリエーターは自分です(量子力学の世界)

一度にできたわけではありませんが、娘の病気とか、診断とか、に影響されない自分の世界、自分が選択する自分の世界ですべての責任を持って生きる覚悟を決めました。

何度もチャレンジしたことは、「彼女がこれで完璧だっとしたら」という問いかけでした。私たちはつい、現状に問題がある、と感じ思考錯誤しますが、現状にサレンダーするのです。この病気になることが彼女の使命だったとしたら???

だとしたら、私の罪悪感も悲壮感も絶望感も必要ないものになります。だって彼女はそれで完璧なんだから!

そしたら次は私は私の使命を生きるだけです、誰のためでもない自分の人生。その上で、彼女のケアをしていくのか、やめるのかは私の自由。もちろん日々の格闘が続きながらも、そんな考えが頭のなかをグルグルしていました。

この考えが、彼女の症状が悪化したらどうしよう?とか、もしものことがあったら?とかいう気持ちから離れることができて、すべて完璧、すべてにサレンダー、という境地から日々の判断をすることができるようになりました。

投薬中、これは自分ではない、という彼女の言葉が私の心を引き裂き、彼女が自分の命を絶つ決断をするなら、それも運命として受け入れよう、と死をも覚悟して薬をやめていいよと伝えました。(注:精神病のお薬はご自身の判断でやめないでくださいね。主治医にきちんと相談してください)

その後は、今まで入ってこなかった情報、今まで見えなかった世界、が見えてきて、ただただ自分が見ている将来の地球のビジョンを信じて今に至っています。

精神病患者を持つ家族の会、、、そうか私にここまでの判断をさせる意味を持って存在してくれていたのか!!

私は、痛みを慰めあい、諦めを共有する社会ではなくて、愛と希望に溢れた社会を創り、自分はそこで生きる選択をしました。

これは「家族の会」を批判や否定するものではなく、その会によって救われた人、助けられた人、がいることを理解した上での「私」の選択にすぎません。

慰めが必要な時もある、あきらめたっていい「それ」もあなたにとって必要なプロセスだからね。

でも自分が生きる世界は自分で選択していいってこと、自分が選択する権利があるってこと、をお伝えしたいのです。

泣き疲れたら、あきらめ疲れたら、とことん苦しみを味わったのなら、幸せを選んだっていいんですよ~。

 

 

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