私が地球に生まれて最初に一番傷ついた記憶は「嘘」だった。
大好きな母が嘘をつくことが本当に理解できなくて、不思議で、そしてたくさん傷ついた。
それは母自身の自信のなさや、人へいい顔したいという思い、人から好かれたい、承認欲求の行為だと今ならわかるが、当時は、本当に混乱して傷ついた。
例えば、母とご近所のAさんとの会話で、Bさんはどうもあまりよい人ではないらしい、と聞く。
子供心に、そうなのか、、、、とインプット。
次の日に、そのBさんとの噂話で、Aさんがひどい人らしいと話している。
もう私の頭は毎日?????だらけだった。
愛子は優しいいい子ね、と言われた次の日には、蹴られて怒られる。
昨日褒められた行動が、今日は母の虫に触り、怒鳴られる。
本当に理解不能だった。
大好きなんだけど、大好きなんだけど、、、でもこの親は私の親じゃないって感じてた。
こんなはずじゃない、って。
何かが違う、その違和感が拭えなかった。
無条件で愛してくれる存在があったはずだと薄い記憶があったのだ。
早くそこへ帰りたいって思ってた。
どこへ??
それは幼い私には分からなかった。
ただただいつか迎えに来てくれるはず、私を愛してくれる本当の誰かが迎えに来てくれるはず、、、、その時までは息を殺して我慢しなきゃ、と思った。
絶望を感じたのは多分6歳か、7歳だったと思う、もうちょっと後だったかな?
無駄な望みは捨てようって思った。
私を無条件で愛してくれる存在がいるなんていうのは夢物語で、虚しくなるだけだ、夢だったんだ、あきらめよう、これが現実だ、私はこの汚れた世界で生きなきゃならないんだ、、、涙、って思ったことを覚えている。
幼い頃はぼーっとしてマイペースで生きていた私の、現実世界でのサバイバルが始まった。
私は、大好きな母に好かれたかったので、ものすごく彼女の虫の居所を察知して、それに応じて行動や言動を変える子になった。かなり「読み・察知」はうまくなったよ。
母の虫の居所の悪い時は、そうっと息を殺して存在を消す。
少し話せそうな時には、喜んでもらえる話をする。
機嫌の良い時は、お手伝いなどしてもっと褒めてもらう。
褒めてもらいたくてたくさん「嘘」をついた。
親戚の人は、みな久しぶりに会うと「大きくなったね」と褒めてくれた。
だから「大きい」ことは良いことなんだと思って、幼稚園で一番大きいんだよ、と嘘をついた。
嘘がバレるのが怖くてビクビクしていた。
でも誰も怒らなかった。
もっと傷ついた。
世の中は「嘘」だらけだった。
私も「嘘」だらけだった。
世の中が大嫌いだった。
自分が大嫌いだった。
ドラマでも、みんな嘘をついている。
家族もみんな嘘をついている。
最低な世界に、最低な自分が生きていた。
(注:このストーリーは、私が子供時代に体験した、私から見た、感じた感覚なので、事実とは異なります。事実なんて実はどこにも存在しないのです。誰かが、その立場、そのタイミングで体験した経験があるだけ、、、、)
愛子5歳、この投稿に載せようと思って昔の写真探して見つけた幼稚園時代の私の写真。
うわ〜、この写真見ていると楽しかった記憶もたくさん出てくる。
人間の記憶っておもしろいな〜。やっぱり記憶も多面体で、どういう状況でどこから見るかで全く違ったものになるんだよね。
上の注意にも書いたけど、どの経験を誰がどこで、どんな状況下でつなげるか、だけなんだよね。。。
まあ、「嘘」に傷ついていた自分がいたのは確かです、はい。